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冬の北九州1 旧松本家住宅 [趣味関係]



クラノスケの有給が溜まっているとかで平日5日間がまるっと休みに。
前後の土日をくっつけた計9日間の連続休暇となり、2泊3日で小倉を中心とした
北九州方面に行ってきました。
これが1月22日~24日w
バリ旅行を終わらせないと始められないわということで漸く着手ですが、
こちらはすぐにTwitter(X)にあげていたのでほぼ転載です。


冬の北九州の旅、初日はアールヌーヴォーの館から。

内部を見学できる機会が巡って来るなんて…!
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午餐の予約時に見学もお願いしていたところ丁寧な解説付きのご案内でとても感激だったのですが、
それだけでなくたった二人でも一室丸々貸切という…!

最初にわたくしたちが通されたダイニング。
あーこれ本で見た部屋~~[目がハート]
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もう一組のお客様が使用中の貴賓室、和室や応接室等を除き洋館の見所をほぼ見学。
隣接する和館も外からだけ(結婚式の際控室として使用とのこと)だったけどゆっくり拝見させていただけ
十分ありがたや~[ぴかぴか(新しい)]

見学はまず2階からスタート。

階段ホールの上ったところでパネルの展示があり松本健次郎についての紹介がなされていました。
地方財閥「筑豊御三家」のうちの一つで、
創始者敬一郎は福岡藩士の徳永家から安川家、兄潜は松本家の婿養子に。
後に敬一郎の次男健次郎が潜の婿養子に(従妹結婚?)

客室
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サンルーム
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談話室
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隣接の和館
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階段ホールのステンドグラス
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ステンドグラスをはさんで向かい合わせで巨大タペストリーが
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二階を一巡して階段ホールに戻りピアノ横に飾られていたパネルをふと見ると、
目に入ってきたのは「安川加寿子」とのお名前。
うぉー記憶の扉が~!

満6歳になる少し前、ピアノ教室に行くことになって初めて与えられたフランス系の教則本が
「メトードローズ」でした。
こちらを翻訳・刊行されたのが安川氏。
「メトードローズ」とは意味不明な上語感が悪いなぁと実は印象はあまりよくなかったのですが
こちらの建物に紐づけされ一気にイメージが変貌。
ドイツ系の「バイエル」と並行してこのシリーズを採用してくれていた先生にも感謝~。
検索してみれば、赤い表紙で出てきましたが昔はもっとくすんだピンクだったような?
それから横長のタイプも出てきて、あ、最初はこっちだったかもしれない~とこれまた懐かしく。

今回の旅行後ウィキペディア等を見ていて、
色んな事柄や人間関係に繋がってくるなぁと思えることがいくつかあるのですが、

一番のびっくりはこの旧松本邸のピアノ展示でしたでしょうか。
(ピアニストで教育者、現神戸市出身で安川財閥創始者の孫と結婚)



 


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ミュシャ展 [趣味関係]



備忘録的に…と書き始めようといたしましたが、1月26日の訪問。
3カ月も空くとかなり印象も薄れてしまってしまいましたw
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同時期に堺のミュシャ館で「ミュシャとパリの画塾」展がスタートされていて、
あちらの方が会期が長い空いてそうだしミュシャ絵の動画ってどんなの?と
こちらを優先したのですが、その後後者の訪問をすっかり忘れていたことに気が付き
あー、あっちに行っていればよかったと後悔したのでした。

ミュシャの展覧会は何回も行っているので絵画やポスター類は
ほぼ見尽くしているような気がしていたのですが、
こちらでは装飾品等それ以外の目新しい製作物の展示も多くあったような気がします。

それでもただの展覧会やん、と思ってしまったのは
「動くミュシャ」「全身で体験できる没入型映像空間」と銘打たれてたわりには
左右上下の壁面に幾枚ものミュシャ画が合わさって流れるように映し出されただけのような
印象だったからでしょうか。

浮世絵のように平面感の強いミュシャなので
横や後ろむきに身をひるがえしたりポーズを変えたりするのは想像し難いものがありましたが、
もう少し女性たちが瞬きしたりするだけでなく、色々動くのかと期待しておりました。
登場人物の動画化を期待してたら世界観を美しく編集した展示映像だったって感じでしょうか。
平面から造形した立体を動かすようなアニメ的なものを製作されているのかと期待というか誤解を。

会場がグランフロントということもあって映像イベント的なものと思っていたので、
多くの作品が展示されていたことがむしろ驚きだったという大きな理由だったかも。
これはこれで素晴らしい展覧会だったのですが、思ってたのと違う~みたいなw





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さようならバリ [バリ島2023]



最終日は帰るだけ。
早朝6時前くらいにお迎えの車がやってきました。
空港まで1時間強から1時間半くらいというのが標準ですが、
ラッシュにぶつからないよう早目に出たらスイスイと余裕で到着。

途中で見た朝日。
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お土産類と右上はお弁当。
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朝食の時間がとれないため三段重ねのお弁当を用意してくれ、
サンドイッチかな~バリスタイルなのかな~と期待してたら…
想像の域外の中身でしたww
(バリ風というのでもないと思う)

ゲートを入らないことにはゆっくり食べる場所も見当たらず
一目を避けるようにしてベンチでもぐもぐ。
モチロンこれだけも食べきれるはずはなく持込もはばかられ、
お残ししてゴミ箱行きとなりました。申し訳ない~。
(今検索して気が付いたけど、X線検査が必要なものの機内持ち込みOKだったのよね
 今時は液体が厳しく規制されているのと検疫の問題からダメなように思えていたけど、
   果物が×なのは日本入国時だから出入国検査後食べてもよかったのだわ)

シンガポールでの乗り継ぎは時間ギリギリで焦ってしまったけど、
同じ航空会社間なので多分心配は要らなかった筈(走ったけど)、
荷物が間に合わなかったとしても、帰宅ならいずれ届くだろうし…
との感じでシンガポールを発った後は気楽な帰国でした。

バリ腹になってホテルで薬をもらったりしたけれど
その原因って昔ほど神経質にならず果物やサラダを食べたりしたせいかも?
氷入りのフルーツジュースも飲んだりしたし。
あ、いや、昔もお腹こわした記憶が。
とりあえずコロナの心配をほぼしなくていいような感じで、途中でマスクも外してしまいました。
バリの空港は混みあってもおらず機内が一番心配だったかも。


帰るなりまた行きたいと思うけど、
その頃は北へ東へと開発の波が広がってるのだろうなぁと想像。
今回はスバックという水利組織の存在を知ったけど、
バリ社会では今も地縁、血縁での繋がりを保たれているのだろうなぁといった印象でした。
ガイドさんのお話ではコロナ禍で観光の仕事がないときは
実家に戻って農業を手伝っていたとか、身内が村のリーダーだとか。
元々盛大なお葬式が有名だけれどあれも地域がかりで行うものだろうし、
今では半ば観光向けの舞踊の類も村の繁栄を祈願するものがスタートとか。

日本語が堪能なガイドさんでもインドネシア、ではなくバリから出たことがないときいてびっくり。
(面積を比較すると東京都の約2.5倍、愛媛県相当なのだとか)
家を出て都市に住んでいる人もすぐに帰れる域内にいるということが、
今でも文化・風習を保持させている一因になっていることと思われます。

それでも今後孫子の代になっていくと次第に状況が変わって来ると考えられますが
この島内でベッドタウン化とかいう現象はおきるようになってくるのか…?
(なんか先祖代々天皇の棺を担ぐ比叡山の麓の「八瀬の童子」を思い出した)
濃密な地域の人間関係の上に成り立っていると、少子化、人口流出、流入が始まると
一般的には文化の伝承やしきたりの保持が立ちいかなくなっていきそうなものですが、
ここの人たちは日帰り可能な島内で移動することはあっても
宗教も風習もちがう首都ジャカルタでさえ移住の対象ではないのかも。
少なくとも催事や晴れの日の冠婚葬祭的儀礼は続きそうな気がしますが。
(岸和田のだんじり祭りでは何事にも優先して里帰りしたり
 地元の学校・会社も休みになったりするらしい)


書き始めは早かったのだけれど、続きは年明けとなり、半年かかっちゃったりして…
なんて思ったてたら半年過ぎてしまいました。
記事一つを一日で完成なんてムリムリなお年頃です。
安全性を優先しつつも行けるうちは頑張ってまたどこか行きたいワ。




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ケチャ! [バリ島2023]



パフォーマンスは派手な方がお好き。
初めてのバリ島旅行で見たバリ舞踊はバトゥ・ブランでのバロンダンスでした。
永遠に続く善と悪の戦い。
終盤にケチャ・ダンサーと同じような白黒の腰巻をした戦士たちが
自らの胸に剣を突き刺す(トランス状態に陥っている者も)大迫力のダンスで
どうせ見るならそういったエネルギッシュな派手派手系を見たいと思って検索していると、
ウブドで一番迫力のあるケチャ・ダンスとファイヤー・ダンスとして紹介されていたのが
ダラム寺院のクラマ・デサ・ウブド・カジャグループによるもの。

ダラムという名のお寺はあちこちにあってややこしいなと思っていたのですが、
バリでは地域の墓地に集合埋葬されることになっており、隣接する死者の寺をダラムというとか。

左上 ダラム寺院に向かう途中にあるスカワティ寺院並びのプリ・ルキサン美術館の入口。
   広大な駐車場があり庭までは無料ではいれるかも?と思ったけどダメでしたw
左下 ダラム寺院の外門
右上 ダンス会場の演者が登場する割門
右下 外門を入った塀の内側
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寺院の門。迫力が。
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演目は「ラーマーヤナ」~クンバカルナの死~
羅刹の王ラワナはラーマ王子の妻シータ姫を連れ去り、夫ラーマ王子の首をとったと嘘を告げ求婚。
(実は見せられた首はラーマ王子ではなくそっくりなラワナ王の息子)
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白い猿ハヌマン登場。
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ラワナ王の息子メガナダがラーマたちを倒しにやってくるけどガルーダ(大鳥)の助けで絶命。
続けてやってきたラワナ王の弟クンバルカンも返り討ちに遭い深手を負って苦しむことに。
ラワナ王の別の弟ウィビサナ王子(兄を批判、諫めるが追放されラーマ側に寝返っていた)が
その姿を見かねて止めを刺して欲しいとラーマ王子に請願し、
ラーマ王子はクンバカルナの勇気を称え矢を放ち、祈りを捧げるというお話。

ケチャ舞踊劇のあとはサンヒャン。
「神聖」や「崇拝された人」を意味で、村へ災いを起こしている悪魔払いを目的とした舞踊儀式。
演目は「サンヒャン・ジャラン」で、
馬の人形に跨った語り手自身が荒馬となり、ケチャのうねりに乗るかのようにトランス状態となって
火の上を走り回り、炎に飛び込むというもの。
最後はトランス状態を解かれ、みんなチップを置いて行かずにはいられない熱演でした。321_1016クプクプケチャ3.jpg


この後ホテルのシャトルバスを待ったわけですが、本当にこの場所で大丈夫?
こんな交差点で車が駐車するの?と不安だったのですが、
無事見つけけてもらえました。
行きとは違い、今度は普通の乗用車。
なんでホテルの客と判別できたのかとっても不思議だったのですが。
(顔や服を覚えてもらってたのかとも思ったけど、運転手さんは多分複数)

無事に戻り、セット・ディナーをいただきました。
昼間と同じメニューのなかからこんな感じでチョイス。
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サラスワティ寺院 [バリ島2023]



ちょっと迷わされたけどやっぱり大通り側が入口だったサラスワティ寺院、
お遍路さんのような揃いの服を着た人たちで賑わってました。
通称「きもの」とよばれているようで、
薄手の法被のような上衣と腰巻、被り物を入口横で貸与されます。

寺院に関してはこちらの記事を。
https://zokuzokubarobeya.blog.ss-blog.jp/2024-03-09


市内観光で楽しみにしていた名所。
(といっても周辺を除くとモンキーフォレストと王宮、美術館ぐらいしかないけど)
蓮池の花が咲く午前中がおススメということですが、
ライトアップの夕方も捨てがたく…夕方を選択!
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青緑色の椅子が並べ始められているのは日が落ちた7時半から始まる舞踊公演のため。DSC_1833-001.jpgIMG_1674〇.jpg

蓮池に沿ってテーブルが並ぶロータス・カフェ。
蓮池沿いのテーブル席でライトアップを待機。
インテリアは少し中華風。
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この後、別のお寺でのダンス公演を見るために移動いたしました。
18時でクローズされますが、ダンス公演後戻ってみると池の手前まで自由に出入りすることができました。IMG_1830-001〇.jpg

ケチャダンスの様子は次回で~。







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ウブド王宮 [バリ島2023]



翌日は早朝から空港に向かうため実質観光最終日、ウブド市内へお出かけ。
ホテルのシャトルバスを予約してたのだけど、
やって来たのはホテル内を移動するカートの車両で、
ランドカーとよばれるらしい屋根付きオープンキャビン。
今までもベモの類に前向きやロングシートに横向きで乗ったことはあるけれど、
今回はたまたま最後尾の席に後ろ向きに。

えっ、これで公道を走っていいの?
シートベルトしなくていいの?
急ブレーキかかったら飛び出さない??
ひゃー、後に続くバイクとずっとお見合い状態ー!
といった感じでちょっと落ち着かない感はありましたw
日本よりはガタガタするメインストリートをスマホを落とさないようしっかりキープしつつ走る
外国でしかありえない体験が楽しかったです。

降ろされたのは繁華街の交差点。
帰りのシャトルバスも予約していて同じ場所でピックアップしてもらうことになっているのですが、
こんな場所で見つけてもらえるのかと心配になるような場所。
両替を済ませたり二階建てのウブド市場を一通り回ってお土産を買ったりした後は
王宮へ向かいました。


ウブド王宮こと、サレン・アグン宮殿「Puri Saren Agung」
王政時代は政治と経済の中心地で、現在もこの奥に子孫が住まわれているとか。
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検索してみたら1600年代半ばからの混乱でゲルゲル王朝崩壊後分立した小国(カランガッサム、バンリ、クルンクン、ギャニャール、バドゥン、ブレレン、ジュンブラナ、タバナン、メングゥイ)の一つ、
ギャニャール王国の傍系・スカワティ家が建てたプリ(王宮、王族、高位貴族の屋敷)との解説が一般的なようで、
ウブド王が建てた王宮との表現が見られなかったのがちょっと気になりました。

中にはギャニャール王国が建造との記述や
ウブド王家の王宮は本来の意味での「プリ・アグン」ではないとの説もあり、
んん?ではウブド王家は狭義での王国ということではないの?ということで更に検索してみたら…
小国分立の1700年代、ウブド付近を支配したのはギャニャール王国ですが、
1880年ギャニャール王国傍系スカワティ家がギャニャール北部に台頭してきて
初代ウブド王(「ラジャRaja」君主や領主を意味)になったとのこと。
当時はスカワティ家以外にも王国内の各地(マス、バトゥブラン等)に傍系の王族が複数いるような状況だったらしく、ギャニャール国内で分家が勝手にウブドエリアの君主を名乗ったって感じなのでしょうか。

因みに同時期本家ギャニャール王国はクルンクン王国の勢力下で、
1900年、バドゥン、バンリ、クルンクンの3王国が、戦争をしかけてきたことから
ウブド君主の進言でオランダ軍によるの援助を求め、オランダの保護領に。
いち早く恭順したことにより体制を保証され、後の活躍の場を得ることになったとのこと。
オランダ侵攻の際にはププタンで滅んでしまった王国と
ギャニャール、カランガセム、ウブドのように植民地化を認めることで王が領事に任命され
支配下でのエリートの地位を築き存続した王国とに分かれてしまったようです。
(植民地時代を経て王政が廃止された後の末裔にもラジャの称号が習慣的に残ることに)

王族の称号にも位があり、
ダラム、デワ・アグン、チョコルド、アナック・アグン、イグスティと下がっていくとのこと。
ゲルゲル王朝の王はダラム、
それを継いだクルンクン王は最初ダラムだったけど、後にデワ・アグンに。
(「デワ」は神で「アグン」は偉大な、大いなるという意)

普通にバリの人名に含まれていたりするようですが、
バリでの人名は氏姓やファーストネームを表しているわけではなく
カーストだったり何番目の子という意味だったりで日本とはちょっと事情が異なっているようです。
「アナック・アグン」だとアグンの末裔とかアグンの分家という意味になるそうな。
ウブド王族の名前にもデワ・アグンやチョコルドの入ってる名前があるけれど、
これは王族としての称号なのか一般人と同じような名付けによるものなのか今のところ疑問のまま。
たまたまガイドさんとお見合い結婚はあるのかという話になりましたが、
ごくごく一部の高貴な人々の間ではなされるとかで、
きっと高いカーストやなんとか王の末裔的な層のお話ということなのね~と解釈。


建物自体は1978年改装のもので美しく整えられておりましたが、
内部を見られるというわけではないので意外と早く見学終了。
次の目的地水の宮殿ことサラスワティ寺院へ。
メインストリート並びにある筈なのですが、
人の流れがその手前で右折していて入口がこちら側の可能性も?と思ってたら
お土産物屋やカフェの並ぶ通りでした。
ついて行っちゃダメよね~。駐車場だったというのもよくあるパターン。





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コンセプトはジャングル・リトリート? [バリ島2023]



こちらでもホテルは渓谷の斜面に建っており、
幹線道路から少し入ったところがエントランスで奥へはどんどん下って行く仕様。

リバービューということでかなり下の方に位置する部屋で、
くねくね曲がる、傾斜角度が制限一杯の転げ落ちそうな坂道をカートで送迎してもらっておりました。
うっわーちょっと面倒…と思っておりましたが、
利点は川に近いことでホテル3日目の朝は付近を散歩。

部屋から見えていた吊り橋へは直接歩いて行けました。
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渡っていると下をラフティングボートが何隻も下っていきます。
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黄色い建物が目立ってジャマだなぁと思っていたら、ホテルの施設でした。
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ヨガ体験を申し込んでいたのですが、その場所がこちら。
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前日の申込みの際にフロント集合を告げられ、カートのピックアップを予約していたのですが
時間になっても全然来ず…。
電話をすると何かを説明されるのですが、意味不明で[あせあせ(飛び散る汗)]
結局車の待機場所で待っていると人を沢山のせたカートがやってきて
みんなワラワラと下車をしてヨガの場所まで引率されて、辿り着いたのがここだったという。
(つまり一旦フロントに集合しなくても良い部屋だったということなのでした)

朝8時からみっちり。
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いつもなら朝一の朝食はヨガ体験後に行くとけっこう混みあっておりました。
この日は夕方出かける予定だったので、折角あるのだからと部屋のプールでチャプチャプ。

ランチは付帯の特典セットランチ。
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旅行前にホテルのHPでインスタ映えスポットみたいなのを見てたのですが、
それらの施設がどこにあるのかわからず…
フロントできいたのを頼りに探してみました。

鬼太郎の家みたい?
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バードネスト(鳥の巣)とよばれているらしい
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こういうのってお好き
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知らないと絶対わからない場所にパブリック・プールDSC_1807.jpg


クラノスケが何かを見て「ジャングル・リトリート」と書いてあるといっているのを耳にして
英語のセンスがとんでもないわたくし、きちんと聞けてなかったこともあり
「ジャングル・トリート?」「トリート」って何?探検?とw
日常を忘れてリフレッシュすることを言うそうですね。







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カランガセム観光6 〆はウブドで夕食 [バリ島2023]



順調に車は進みまだ明るいうちにウブド市街へ。
モンキーフォレストなどの前を通って夕食を希望していたお店カフェ・ワヤンへ。

入口にはチョコレートやケーキ類の陳列されたショウケースがあったけど、
店内には植物が茂り水が流れ、四阿風の席もあるバリ風中庭状。

キレイに花が飾られたテーブル。
竹や草木のなじみ深い植物素材のインテリアが落ち着きます。
東洋人は無問題だけれど、ただ西洋人には正座や胡坐は難しそう。
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ミー・ゴレンとナシ・チャンプルーとトム・ヤン・クンだったかしら。
お昼もナシ・ゴレンだったけど全然規模(?)が違っていて
そうそう!こんなの食べたかったの!って感じ。DSC_0406.jpg
モザイクが凝っていた床。
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時間になるとガイド兼ドライバーのワヤン氏が迎えにきてくれ無事ホテルへ。
2日間お世話になりましたがとても興味深いお話を色々きかせていただき楽しかったです。
前述の値切るバリ語は翌日ウブド市場で役に立ちましたw
「同じ名前の人が多いんですか?」という質問からの名付け方セオリーや
ピタマハ関連からの王族や女神様の話とか。

今までも開平やシェムリアップ等もっと色々話を伺いたいと思ったガイドさんがいらっしゃいましたが、二回目があるならこの方も是非お願いしたい方。
史跡の説明にとどまらずというかそれ以上に土地ならではだったり
ご本人にまるわるお話が面白いものです。
開平(マカオや香港、広州からツアーが出てる中国南部の西洋風の楼閣が有名な町)のガイドさんは
日本にも来たことのあり社交ダンスも習ってるユニークなおじさんでした。
文革時に下放の経験があり、本人は帰路で話したい気満々だったのに
こちらが寝ていてチャンスを逃してしまったと知り、今でも心残り。



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カランガセム観光5 クルンクンに立ち寄り  [バリ島2023]




シドゥメン観光もあっさり終えチャーターの時間が余るのでどうしましょうかということになり、
メジャーな名所クルンクンへ向かうことに。
この日はウブドのラッシュ時の混雑も勘案して12時間もチャーターしてたのでした。
アンラプラからシドゥメンの山側に入ったので、海寄りに出てウブドに向かう途中の街。

クルンクン王国は1600年代後半に一時的にバリを統一したゲルゲル王国滅亡後、直系の遺児が建て、
昔日の国力はなくとも名目上は付近の王国の宗主国的に存在した国。
近世のオランダ侵攻の際には最後まで抵抗し1908年に滅亡。

300年来の古都で、クルンクンという名がなじみ深いけど、
県名や市名の「クルンクン」は1995年に「スマラプラ」に改名されたとのこと(クルンクン郡はある)
「クルタ・ゴサ」遺跡もクルンクン宮殿やスマラプラ王宮とか複数の呼び方がなされているけれど、
実はスマラプラがクルンクンの古称で、旧名に戻されたということらしく、
ゲルゲル発祥のゲルゲル王朝がスマラプラに遷都した際クルンクン王朝に改名して以来の名だったとか。

スマラプラの街はそれまで通ってきた村や観光地、繁華街とは違い、
典型的、一般的な職住接近の地方都市という印象でした。
低層のコンクリート造のオフィスや商店が並び通勤通学で道路は混みあうものの
信号や横断歩道もあり整備がなされているような。

交差点のロータリー、カンダ・パット・サリのモニュメント。
神聖な交差点に建てられた神話に基づいた像とのこと。
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ププタン・クルンクン記念碑。
背後には官公庁。
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内部では侵略に対する抵抗の歴史が模型で展示されており、
ウイキペディアによると「ププタン」とは古代バリ語で終焉を意味、
古来からのバリの風習で、王朝が戦闘で敗北すると自決を選び、王族、貴族が殉死、
集団自決をすることをいうのだそう。
19世紀半ばから対オランダのププタンが各王国でなされ、
1906年のデンパサールでのププタン・バドゥン戦争が有名、
1908年のクルンクン王国のププタンを最後にバリ全土が征服されたとか。
更にはインドネシア独立戦争でグスティ・ングラライ将軍率いる部隊がオランダ軍と熾烈に戦い
全員玉砕した行為などをいい、反植民地、独立のシンボルとして語られているとのこと。
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大通りを挟んでクルタ・ゴサへ。
クルタ・ゴサとはサンスクリット語で「裁判所」との意。
とりあえず池の周りを一周、よく手入れされた庭園が美しい。
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池に浮かぶように建つのは「バレ・カンバン」。
1940年に復元されたスマラプラ王朝時代の王族の休息所。IMG_1393◎.jpg

現在は遺跡全体を指して「クルタ・ゴサ」と呼ばれているけれど、本来はこの建物が「クルタ・ゴサ」。
1700年前後の遷都後から存在するクルンクンの最高裁判所。
地方では解決できないレベルの裁判を行う王国の最高裁として1942年まで機能していたとか。

階段手摺はルアンパバーンでよくみたナーガの彫刻。
天井に描かれているのはクルンクンの村に伝わる古典技法の
カマサン・スタイル(ワヤン・スタイル)の地獄絵。
王宮の装飾画として発展したバリ絵画史上最も古い画法で、
「ラーマヤナ」等の神話をテーマにしたものが多く、
影絵のように平面的で、人物は斜めから描かれるのが特徴とか。新しいフォルダー (2)10.jpg

彫刻やペイントが美しいバレ・カンバン。
こちらの天井にはヒンズー神話や人々の暮らしや事件などが描かれていて、
復元された建物のため彩色も木や石の彫刻も鮮やか。新しいフォルダー (2)8.jpg新しいフォルダー (2)11.jpg

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美しい建物で今は観光名所ではあるけれど、
日本における県庁所在地で官公庁や博物館に隣接する
お堀と石垣とともに現在も残る江戸時代のお城みたいな位置づけかと。
…のわりには観光客目当ての飲食店や土産物屋も目につかない団体さんも来なさそうな
落ち着いた佳き景勝地でした。







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カランガセム観光4 シドゥメン [バリ島2023]



棚田観光地化の波は周辺部へと広がっている模様。
テガラランがすごいことになってしまってる(らしい)昨今、
のどかな田園風景スポットとして開発されだしたのがシドゥメン。
地図を見るとアンラプラから西進、丁度キンタマーニやブサキ寺院の南側に位置するようです。


ランチとティルタ・タンガ観光後に続けて向かったのですが、もう暫く寝ていたかったわw
棚田トレッキングの入口のようなところで一旦停車。
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暑くて外を歩くなんて考えられなかったので写真だけ撮って車へ戻り
ガイドさんと相談の結果、棚田の見えるカフェに行くことに。

九十九折の山道をどんどん上り見晴らしの良いワルン(食堂)、Ume Anyarに。
遠くにアグン山を臨み眼下に棚田をいうのを期待してたので、ちょーっと手前の木々がジャマっ気?
(多分一番奥に写ってるのがアグン山)
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なんか不完全燃焼な気がしたので、この後Bukit Asmaraというビューポイントへ。
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うっはー、やっぱり木がジャマ~!ホントにここ?って感じw

そこでそのちょっと先にあった(↑ 黄緑の楕円で囲った)ワルンが、
こだわりの旅人たちが映え写真を載せてる場所だということに気付いたのでしたが、
うわっお腹ちゃっぽんちゃっぽん!
今になってガイドさん用にテイクアウトオーダーして
準備を待ってる間ちょこっと写真撮らせてもらえばよかったのだと気づいたワ。
それより最初にカフェの相談をしたときこの地図を出していれば…
こんな近くだとは思いませんでした。
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シドゥメンは広く地形も複雑。
車窓からは揃いの白い服でお祭りを行ってる村をみたり、
日本の田舎と変わらなさそうな普通の集落毎の生活がありました。

山を下って幹線道路に出てからもしつこく撮影
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ただ田園風景に身を置くというかリアル棚田を感じたいならこちら、
ジャティルウィのような邪魔物のない景色の広がり感を求めると不向きかも。
アグン山と併せた絶景をネットにあげられているのをみて素晴らしいと思ったけど、
撮影者の腕や条件(天候や時間、伐採状態等)のなせる技だったのだと理解いたしました。






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カランガセム観光3 ティルタ・ガンガ [バリ島2023]



場所の並びから離宮→王宮→離宮で移動となりましたが、
タマン・ウジュンが結構広かったのと王宮でじわじわと暑くなってきて
丁度お腹もすいていたので次の離宮の前にランチ&休憩!
ティルタ・ガンガ近くの観光客向け、オープン・エアで映えスポットが用意されてる
Dewata Agung Restaurantに入りました。
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体調のよくないときクラノスケはいつもウエスタン。今回もパスタ。
ナシ・チャンプル―はちょっと地味な配色。
ホントはアグン山が見える山の中腹のこだわり高級レストランを予定してたのだけど
わたくしお腹が空きすぎで余裕がなかったのと、
クラノスケの食欲ではコースやセットメニューは重かったかも。
目的のレストランに予約をいれずにいたのが結果的に幸いに?


「ティルタ・ガンガ」は1946(1947説も)年にカランガッサム最後の王が建てた水の離宮。
ティルタガンガとはガンガー・ガンジス川の聖なる水という意、
インドのガンジス川にちなんで名づけられたとのこと。
豊富な湧き水でプールもあり泳ぐのも可とか。
なんでインドと思うけど、バリ・ヒンズーも元はインドから。
インドからの観光客も多いらいけれど、サイトシーイングというより参詣味が強いみたい。

こちらも昔はほぼ情報がない状態だったのですが…入場してみると撮影民で混みあってました。
上手い具合に人があまり入ってないクラノスケ撮影の分
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わたくし撮影分
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彫像が並ぶ池。
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美しい場所だったのですが、う~~ん、、人がいないときに来たかったワw




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カランガセム観光2 カランガセム王宮 [バリ島2023]



今でも探したら出て来るかもしれません。
ウジュン、カランガセム、ティルタガンガ、アンラプラと書いたメモ。
ウジュンはタマン・ウジュンのこと、
カランガセムはカランガセム王宮、
ティルタ・ガンガはカランガセム王宮の離宮の庭園、
行きたい3つの場所を忘れないよう書いてガイドブックに挟んでいたおぼえがあるのですが
カランガセムは県の名でもあり、アンラプラは王宮のある町の名(旧王国の首都)。
こうして整理してみると、バリ島カランガセム県のアンラプラにある
王宮と離宮2か所ということになるのでしょうが、
施設名か所在地かさえ定かでない、ややこしい覚えにくい存在でした。

「プリ アグン カランガセム(カランアサム)」は1900年代初頭に建てられた王宮。
19世紀末早々にオランダに帰順、ヨーロッパや中国の様式が取り入れられたもので、
現在も敷地内に王族が住んでいるとか。

他2つの離宮とは違い、アンラプラの町中の一般道に入口が。
偶然にもこの日はロイヤル・ウェディングを控えているとのこと!
周辺は準備に余念がない様子でした。
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こんな重要な日に大丈夫かと心配されたものの受付で記帳をしてあっさり入場。
普段から観光客を受け入れているらしく、「プリ アグン カランガスムへようこそ」との
印刷物も渡されました。

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池の中央、バレ・カンバンとよばれる建物。
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往時を偲ばす写真が飾られているマスカルダム、
実際に王が居住していた部屋も残されており、普段は内部も見学できるようですが、
この日はご婦人方が準備中。
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邪魔にならないようにと心配しましたが途中で赤ちゃんをだっこしたマダムが現れて
「かわいい~」と褒めてたらとても喜んでくれていて、
後から通りがかったら「カワイイと言われちゃった♪」みたいな感じで
わたくしのことが話題にされていましたw

おめでたい華やかな、そして神聖な晴れの場を目前にでき、
神々の島とよばれるバリの王族の脈々と続いてきたのであろう世界の一端に触れられた幸運な訪問でした[ぴかぴか(新しい)]
専業の官職というのではないでしょうけれど、町内会的親しさで縁のある人々が
今も集って王家のために準備をする姿にも気品と伝統のようなものが感じられました。







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カランガセム観光1 タマン・ウジュン [バリ島2023]



最初バリに行ったときガイドブックで見た小さな1枚の廃墟写真。
好物~~[黒ハート]
とはいえバリの東端、ほぼ情報はなく観光地として機能しているのか?との疑問すらあったのですが…

今時は行ってみれば日本人以外の観光客がわんさか押し寄せる一大観光エリア内。
んん?この感じ似てる。あ、イタリア、マッジョーレ湖のイゾラ・ベッラ!

ブドゥグルの時と同じく早朝出発したかったのですが、今回も8時。
でも道路の混雑にも遭わず順調に到着、
水の王宮「タマン・スカサダ・ウジュン」は思ってた以上に広大で
ヨーロッパ調の庭園は美しく整備されていました。

池の向こうにはボッロメオ宮殿の庭園を思い出させる斜面の階段テラス状庭園。
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花と彫刻が点在。
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池の中央の建物へも橋が渡され内部見学することができます。
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色ガラスや白壁の彫刻も美しい。
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体がイマイチ本調子ではないクラノスケは待機。
わたくし一人で階段を上って丘の上の廃墟風建造物まで。
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海がこんなに近くに見えるとは意外でした!
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左側に見えているのはインスタ映えで有名なランプヤン寺院のあるスルヤ山かも?IMG_1243コ.jpg

こちらはウダイプールの侍女たちの庭園(サヘリヨン・キ・バーリー)を連想した噴水。
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出入口への橋。
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外塀というか柵。
これも彫刻のレリーフはバリ風なんだけど大まかにはヨーロピアン。
いわゆるアジアでみかけるコロニアル風ということになるのでしょうか。
廃墟、整形庭園、水辺…そそられ要因満載の庭園でした。
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検索してみたら1900年代初頭に20年近くかけてカランガセムの王の静養と迎賓のために造営、
その数十年後地震とアグン山の噴火で被災し、長らく廃墟だったものを
2004年に史跡遺産として整備されたとのことでした。






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午後はクプクプ・バロンで休息 [バリ島2023]



Googleで検索してみるとクプクプバロンから徒歩10分750mと出てくるロイヤルピタマハですが、
大通りを歩くのは5分ぐらい、
ああここここ!と脇道に入って1,2分すると遮断機のあるゲートがあるのだけれど、
更にそこからレストラン棟まで数分、昼日中の酷暑は堪えました。
大事をとってホテルタクシーで帰ったけれど…甲斐なくお約束のようにクラノスケは
熱中症とみられる症状で疲労困憊、持参の粉末ポカリスウェットが役立つことに(近辺にコンビニなどない)

ロクシタンプロデュースによる「クプクプバロンヴィラズ&ツリースパ」での宿泊はリバービューヴィラ。
2度目のバリ旅行は海辺のジンバランでしたが、
渓谷に竹や木で作られた二階建てのヴィラの写真を見たとき
今度はここに泊まりたい!と思っていたホテル。
ただそのホテルを象徴するかのようなデュプレックス・ヴィラは憧れの建物ではあったものの
経験上階段の上り下りが面倒くさそうで、しんどいばかりか怪我の心配さえある昨今ゆえ
少し張り込んでリバー・ビュー・プール・ヴィラ指定に。
眼下に川や棚田が臨めるとのことでしたが、残念ながら棚田は焼き畑のタイミングでした。

画像右上は霧ではなく焼き畑の煙w
右下はデュプレックス・ヴィラに似た造りの「マンゴー・ツリー・スパ」2階のセラピー・ルーム」
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夕方のホテル。
クラノスケの食欲がなかったので、夕食はルームサービスのナシ・チャンプル。スマホ143.jpg

「クプクプ・バロン」とは世界最大の蝶(蛾)で、
羽の模様がバリ・ヒンドゥーの善を象徴する聖獣バロン(森の王・バロンダンスの獅子)に似ているからとか(バリ語では蝶も蛾も同じクプクプらしい)

開業は1988年とのことでもう30年以上前?!
1989年の初めてのバリ旅行の際にはもう存在していたことに今驚いているところですが、
ウブドの観光を牽引する画期的なホテルとして当時の繁栄ぶりはいかばかりだったかと推察されます。
コロナ禍の影響もあってか他の2ホテルよりお手頃価格ゆえ3泊することにしましたが、
新しい豪華ホテルが次々できている現在ではそこはかとなく漂う時代遅れ感が否めず
昔のイメージを求めると残念かも。






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ロイヤル・ピタマハでランチ [バリ島2023]



ウブドで最初に2泊したホテルの名称は一般的には「ピタマハ・リゾート&スパ」、
利用したツアー会社ではなぜか「ピタマハ・ア・チャンプアン・リゾート&スパ」の表示で
昔の名前をそのまま使ってる?とか考えてたのですが…
検索するといつも「ロイヤル・ピタマハ」が出てきてやっかいだったので、
今思うにひょっとしたらそのあたりが理由だったのかも??

ピタマハに宿泊に際して検索中仕入れた情報に
ロイヤル・ピタマハとウブド中心部への無料送迎がありました。
姉妹ホテルやウブド市街への送迎という話は一般的な話なのだけど、
他のホテルだとウブドの繁華街中心の交差点等が乗降場所なのに対し、
こちらでは「プリ・ルキサン」(芸術・絵画の宮殿)美術館の大駐車場での乗降。
ゆったり安全で、王宮(プリ・サレン)や「サラスワティ寺院」、ウブド市場に近い好立地。

たまたまチャーターカーのガイド兼運転手さんからきいた話によると
現在のバリでは王政は廃止されているものの、今でもいくつか王家が存在、
副業的にホテル経営をされていることもあり、中でもウブド王家は有名で、
上記の王宮・寺院・美術館も王家に関わる施設なのだとか。

水の宮殿ともよばれるサラスワティ寺院は芸術・学問の女神サラスワティをお祀りする寺院として
ウブド王家のスカワティ王子により王宮の隣に1952年に建立されたものとのこと。
同王子の支援により更にその隣に1954年建てられたのがプリルキサン美術館で、
設立の中心にいたのはオランダ人芸術家。
1936年にバリ芸術家たちの伝統美術の保存と発展を目的にした「ピタ マハ」というコミュニティを興し、戦争により廃止されるまで継続。
ピタ マハという名前は、女神サラスワティを指す「偉大な祖先」を意味するカウィ語(サンスクリット語の影響が大きい古ジャワ語)に由来するのだとか。

彼らが集っていた場所に1928年、ウブド最初のホテル「ホテル・チャンプアン」が誕生。
王宮からメインストリートをサラスワティ寺院、プリルキサン美術館の前を通って西進すると
ピタマハ・リゾート&スパまで徒歩10分ぐらいの北に向かうカーブの辺り位置するようです。
1995年にそんな芸術運動の精神を受け継いで開業したのが「ピタマハ・チャンプアン・リゾート&スパホテル」。
続けて2004年、アユン川渓谷の更に上流に「ザ・ロイヤル・ピタマハ・ホテル」が。

いずれもスカワティ王家によるもので、
王家の存在がなければ今にちのウブド発展はなかったかも。


ピタマハのチェックアウト前にロイヤル・ピタマハのランチの予約を入れてもらい、
ツアーの現地係員の送迎により次の宿泊ホテル、クプクプ・バロンに移動。
地図検索でみる限り徒歩数分程度と表示されたのでチェックイン後歩いて移動することにしたのですが…
丁度正午頃、そしてホテルのゲートからレストランまでも更になかなかの距離。。
想像を上回る巨大ホテルで建物の入口にも迷うほどでした。
暑かったー!

ピタマハホテルの特徴ともいえる渓谷を見下ろすレストランの湾曲する大テラス。319_1014ピタマハ7.jpg
後から気付くのですが規模は違えど3つのホテルいずれにも同様のテラスが存在。
チャンプアンの「オオステラス」、ピタマハの「テラス・レストラン」、
そしてロイヤル・ピタマハの「デワタ・ラウンジ」。

カーブするテラスの下に見えているのが「アユン・バレー・レストラン」
デワタ・ラウンジと迷ったけど、ランチをいただいたのは川沿いの「アユン・ガーデン・レストラン」
エレベーターで降りますが更に庭園やヴィラの間をあるくこと数分。

四阿やパビリオン棟沿いのアユン川をラフティングのグループが下って行く傍らでお食事。319_1014ピタマハ9.jpg

他には宴会場的な「テラス・バリ」も。
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豪壮なバリ彫刻に飾られた廊下
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エレベーター
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ロビーから奥を臨むと突き当りがデワタ・ラウンジでそのまま突っ切ると渓谷に落ちてしまいそうな。319_1014ピタマハ6.jpg


こじんまりとした造りのピタマハに対し、なんとも豪壮、巨大でゴージャス、
バリ伝統建築スタイルのホテルを極めたような印象のロイヤル・ピタマハでした。

ホテルまでは徒歩数分、歩いて帰ろうと思えば帰れなくもなさそうでしたが、
炎天下を歩くときっと体に支障をきたすと思ってタクシーで帰ることに。
ウブドのホテル・タクシーって近場は一律100000ルピー(約1000円)なのだとか。
もともとウブド市内ではメータータクシーは禁止されていて、一般タクシーは値段交渉の必要が。
ホテルタクシーは交渉の必要はないし、離れた場所へ行くには割安になるのだろうけど、
バリ価格で1000円はちょっとびっくり。メチャクチャどんぶり勘定w
(ぼったくり?と思ったけどウブドのホテルはどこも同一ルールらしい)






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ピタマハの朝Ⅱ [バリ島2023]



ピタマハも2泊。
3日目はスパでマッサージを受けてチェックアウトするだけだったので
ホテル内をのんびり散策できました。

窓からの景色は時間や天気とともに刻々と色を変えてゆき、ヴィラ内にいるだけでも違う表情を堪能。
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鏡のような床。
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もちろん庭に出ても素晴らしい景観。コラージュ38〇.jpg

朝食に向かいがてらホテル内をぐるぐる。
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割れ門と四阿。前夜はここでディナーをしていたカップルも。DSC_1709〇.jpgDSC_1708〇.jpgIMG_1024-001.jpg

提携先のスタジオカメラマンによる撮影サービスも紹介されているぐらい
敷地内には絵になるような撮影スポットがあって、
早朝インフィニティー・プールで撮影している宿泊客も見受けられました。319_1014ピタマハ4〇.jpgIMG_1009-003〇.jpg

レストラン棟。
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ランチとディナーはこちら。朝食はこの下の階で。
アフタヌーンティーで利用したザ・ラウンジはフロントロビーを挟んだ反対側に。IMG_1032〇.jpgスマホ141.jpg


滞在の最後にプールの反対側にあったスパへ。
伝統的なバリ風の建物でのんびりと至福の一時をすごさせていただきました。
施術の前後は覚えていても最中のことはあまり記憶には…寝てたのかしらw

お昼前にツアーガイドさんのお迎えで次のホテルへ。

この後ランチに行く姉妹ホテルのロイヤル・ピタマハのような豪壮さはありませんが
その先駆けとなる存在であることがよく解る造りで、
段差が多かったりサービスや設備に経年感は否めないものの
こじんまりとしてクラシックなバリスタイルにまとめられた心地よいホテルでした。




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タバナン観光3 タマン・アユン寺院 [バリ島2023]



カーチャーターの時間が余ったので、タマン・アユン寺院に立ち寄ることになりました。
ブドゥグルがタバナン県の最北でジャティルウィは少し南下したところ。
寺院のあるメングウィは更に南下し、ウブドの西並びより少し南側に位置しています。
世界遺産の有名寺院でクロボカンからウブドのホテルに移動する際
立ち寄れないかと検討した場所だったので、行くことになってラッキー。

タマン・アユンとは美しい庭という意。
今はなきメングウィ王国の国寺で17世紀の創建、
バリでブサキ寺院に次いで二番目に大きな寺院とのこと。
とはいえ世界遺産になった理由はそれだけではなく、
棚田観光について検索した際よく目にした「スバック」という水利管理に関わる所以とか。
水や豊穣に感謝する儀礼の場である一番美しく大きな施設であるとともに
水田への公平な水の割り当てを管理するスバックが
この後も脈々と受け継がれるシステムであるということに関連して、評価・認定がなされたようです。

寺院は日本のお城のように堀に囲まれてます。
堀の内側へ渡りますが、見学は低い塀の外からのみで内部入場はできません。
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塀の内側にも小さな内堀が。
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白い服を着た人たちはお坊さん
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メルとよばれる多重塔が見所なのだとか。
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闘鶏場や資料館的な場所へは入れました。


ホテル帰着後、ラウンジでサービスのアフタヌーンティーで一休み。
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夕食はホテルからすぐのWarung Pulau Kelapa ワルン・プラウ・ケパタ。
オーガニックの作物が栽培されている庭も一見の価値があるとのことで、
テーブルに着く前に裏側も散策。
建造物もあって思ってた以上に素晴らしい~。
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店内には輸入物と思しき陶器やタイルも。
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ウダン・バカール焼き海老や緑のお菓子ダダール・グルン等々名物色々
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お料理がおいしかったのは言うまでもありませんが、見ごたえのあるレストランでした。





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タバナン観光2 ジャティルウィ [バリ島2023]



続けて次の目的地、ジャティルウィの棚田へ。
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どれかがバトゥカル山の筈w
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棚田といえば昔はテガラランが有名でしたが、
巨大ぶらんこ等映えスポットだらけで観光地化が甚だしい様子。
あちらはウブドからそれほど遠くないのでまた後日と思っていたのですが、
結局行く機会を逃してしまいました。
賑やかで楽しかったかもしれませんが景色の雄大さはこちらが勝っているようです。

ランチは色々検索もしたけれど、ガイドさん推薦の(駐車の都合もあるかと)
世界遺産と「JATILUWIH」の赤い文字の看板近くのJatiluwih Restoジャティルウィ・レストで。
観光客向きだったけど、今時風の明るいオシャレな店の棚田を見下ろす席でゆったりと寛げました。137.jpg

それほど暑くもなく、棚田の間を散歩。
トレッキングコースがいくつかあるのだけれど楽に帰って来られる範囲内で。
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田んぼに囲まれたカフェThe Rustic Baliでコーラ休憩。
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ジャティルウィ周辺にはどこにしようか迷うぐらいカフェの類が沢山あるのだけれど、
現場に行かないとネットでは伝わらないことが。
一番のイメージの大違いは立地でしょうか。
Googleマップだと道路の道幅や雰囲気が伝わらず、
車道から上り下りを繰り返して徒歩でしか行けない畦道のようなところにあるカフェも幾つか。
山登りの茶店的イメージかもしれません。




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タバナン観光1 ブドゥグル [バリ島2023]



バリ島では相変わらず公共交通機関はタクシー以外ほぼないに等しいのですが、
以前と違うのは時間制のカーチャーターが目立つようになっていたこと。

お約束の観光ルートを回るのではなく行きたいお店などに自由に連きたい層のニーズが
増えてきているせいかとも思えるのですが、
ドライバー,ガイド以外に映え写真の撮影も兼ねたインスタグラマーでもある人気の個人営業主や
割安で連絡には日本語OKの一見好感がもてそう、でもこの口コミは自演と思しき怪しげな業者まで色々。

コロナ禍後で軒並み割引価格を打ち出してるなか選んだのは、
日本人経営の家族的営業の小さな旅行会社でした。
本来はドライバーとガイドのペアということでしたが、
一人で両方を兼ねる日本語が堪能なスタッフさんオンリー。
後から社長ご本人と知るのですが、とても信頼のできる好印象の方でした。

出発は朝8時。
最初は早朝料金を払っても6時頃にスタートして
涼しい午前中に観光を済ませ帰路につきたかったのですが、
メールでの事前打ち合わせの段階でこういう流れに。
涼しい北部に向かったので問題はなかったしホテルで朝ご飯も食べられたし大正解でした。

途中休憩の景勝地。
この辺りは苺が特産なのだとか。
パチュンの棚田を希望してたのですが、あちらはホテルレストランに入らないと
景観をみることができないとのこと。
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この日最初の目的地、ブドゥグルのウルン・ダヌ・ブラタン寺院。
(一帯の観光地域をブドゥグルとよぶらしいが正確にはバリ州タバナン県バトゥリティ郡らしい)
チャンディクニン公園のブラタン湖畔に建っていて、お札の絵柄にもなっているとか。
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地元の家族連れから外国人観光客、カップルから団体まで大勢訪れる人気スポットで、
連想されたのはミラノ近くのマッジョーレ湖のボッロメオ宮殿。
なんか公園の雰囲気も似せて造られているような。
DSC_1641.jpgDSC_1646.jpgIMG_0865.jpg

こちらでも民族衣装に変身。
検索してる間にヒットさせてしまうわたくしって…。
豪華衣装でカメラマン撮影付きのコースもありましたがこの日はこちらで。
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車窓からのブラタン湖
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ピタマハの朝 [バリ島2023]



ホテルの表側はウブドの中心地にほど近いお店やレストランが立ち並ぶ幹線道路に面しているものの、
その反対側(裏側)はチャンプアン渓谷に面し、
一歩中に入ると目前にバリ絵画のような景色が広がります。
景勝地の斜面に階段状に建っていて、
恐らく24ある客室のすべてから見下ろすことが。

一夜明けて。
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ダイニングへ朝食に。
立地上坂や階段の多いのは仕方ないとして、
最大の難点はバリ式の部屋の門の南京錠がとても使い辛かったこと。
上手く開閉できず途中で堪えかね交換してもらいましたwk131.jpg

朝ご飯はオーダー式。
画像左側は確かスムージー。
メニューの掲載位置やスプーンが用意されたことから一般的に思い浮かべるドリンク系とは違ってそうと思ってましたが…がっつり食べる系でした。
朝日が射し込む見晴らしの良いとても爽やかなダイニングでしたが、
あまりの好立地すぎに日陰の席をキープする必要がw
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踊り子に変身 [バリ島2023]



フハハ…30年前のバリ旅行で踊り子さんに変身する記念写真を撮っておかなかったことが
ちょっとばかし心残りだったのですが、
今回色々検索中に本格的なバリスタイルに変身できるスタジオ
「トゥンジュン・ブルー」があることを知り申込みww
恐らく当時商業施設でするよりずっとグレードの高い仕上がりになったような気がします。
トラディショナルからモダンまである民族衣装サロン・クバヤや
ウェディング・パッケージまであるなかで、
選んだのはやっぱりダンサー。

薄物をジュディ・オングの「魅せられて」風に広げるチャンドラワシの次に派手に思えたオレッグにいたしました。
オレッグ・タンブリリガンとは揺れる蜂のダンスとか。
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背景がバリ様式の庭だったこともこちらを選んだ理由の一つなのですが、
スタジオというよりは地域の顔役の伝統的様式による一般住宅?
敷地内に庭や母屋、祠、蔵みたいな感じで建築物が配置され住人や鶏の気配もあり、
カメラマンは外から来てるものの、ピックアップやメイク・着付けスタッフはそこのご家族みたいな。

撮影後は他に予定もなかったのでそのままのメイクでホテルに送ってもらいました。
バリ旅行後に行った「交感する神と人」展https://zokuzokubarobeya.blog.ss-blog.jp/2023-10-26
でも触れたようにヒンズーの神様とそっくりなメイク。
ホテルのレストランスタッフの方にも「バリ・メイク!」みたいな感じでホメてもらえて
日本での舞妓さんメイクみたいな感じなのかな?と思ったり。
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バリ・スタイルのコースディナーは
時代の先端からはちょっと遅れ感はあるものの丁度良い味と量。

この後、ホテル内を散策してこのプールサイドの向かい側を歩いていて
プールの側溝部分に片足を落としてこけかかり、
カメラレンズの側面をどこかにぶつけて危うく動作できなくしてしまうところでした。
強引に回したらすぐ動いたけど冷や汗もの。。





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ウブドにチェックイン [バリ島2023]



この旅行でメインの滞在地となるウブドは最初のバリ旅行の一日観光で立ち寄った場所でした。
雨季で薄暗い雰囲気の中オープンエアのバリ風絵画製作する工房がある程度の
ガイドブックに載ってるわりに何もないところといった印象だったのですが、
二度目の訪バリの頃から色々なリゾートがどんどん進出するようになり今や観光のメッカ。
市内の道路の渋滞が酷いともきいていたのですが、
大きな通りの左右には今時風の明るいオシャレなレストランやショップ、コンビニが立ち並び、
アーティストの工房村とは程遠いイメージに大きく変貌を遂げておりました。

ホテルはピタマハ・リゾート&スパ。
ウブドリゾート開発の草分け的ホテルであり、
伝統的なバリ風リゾートの先駆けでもあるアーティスティックな存在。
どこがアーティスティックなのかは日本語ガイドさんの話で後々解るのだけれど、
午後からの予定に向け早めのランチにあわせるような感じで到着。

今回の旅行で一番苦慮したのはツアー付帯のホテルサービスを
いかに余すことなく享受できるよう予定を組み立てられるかということでしたw
観光や移動の行程はとても緩やかなものの
各ホテルで1回ずつ受けられるスパや、
連泊日数に応じたり早期予約特典でサービスされるランチやディナー、アフタヌーンティーを
どう組み入れるかに腐心。

原則チェックインからアウトの間にということでしたが、
ピタマハではどうしても滞在時間中にランチをいただくことは不可能で、
チェックイン前のレストラン利用を打診してみたところOKに。
なかなか問い合わせメールを送信できなかったのですが、
インスタのメッセージ機能から連絡をつけることができたのでした。
アーリーチェックインの事前希望には部屋の準備状況次第ということで
確実なOKはいただいてなかったものの、
ロビーには他にも何組か待機中のお客がいて、順次案内ました。

プールと渓谷を見下ろすテラスレストランで先にいただいたセット・ランチ。
ピザとトムヤンクンをチョイス。
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規定のチェックイン時間は14時、予約してたお出かけのお迎えも14時。
その前に部屋に入って貴重品をセーフティーボックスにしまったり身軽になれたのは有難かったです。
綺麗に整えられた写真を撮る余裕も。DSC_1605.jpgDSC_1604.jpgDSC_1602〇.jpg
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クロボカンのアジアン・モダンとはうって変わったバリの宮廷風伝統建築[ぴかぴか(新しい)]
ガーデン・ヴィラで予約をしてたけどプール・ガーデン・ヴィラにグレードアップされてました。
プールは使わなかったけど嬉しい♪




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続 2024 年始めのお出掛け [趣味関係]



加賀屋新田会所をゆっくり見学の後続けて訪れたのは
秋にも庭先を訪問した現代は和食処として活用されている五風荘。

何度か予約を試みるものもとれずにいて今回予約サイトから予約、
遅い時間からのスタートでOKとなったのでした。

少し早かったのでちょっとお庭へ。
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最初に通された玄関横の洋室。
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照明がモダン。
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内部は広間や個室がいくつもあって気配のなさそうな場所をそーっと。
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こちらは帰り際見学させていただいた2階。
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建て増しされていったことが伝わります。
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庭を散策するお客さまが一服してたりしてなかなか途切れなかった庭園。
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広いお庭には鳥居やお社、茶室、門が点在。
岸和田城の堀を挟んだ向かいで、石の造りからかつてはお城関連の場所であったことが推察される…というか周辺あちこちに石垣やら普通に姿を現すような地域。
早い時期の建て増しや修繕された感が強いけれど装飾は意外とシンプルな印象でした。


最後に秋にお邪魔した自泉会館へも。
お正月休み中なので門の外から。
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2024 年始めのお出掛け [趣味関係]



年初唯一のお散歩先は住之江&岸和田。

加賀屋新田会所跡は新田開発を行った豪商の館。
実務拠点・役人応対の場であると同時に文人墨客が集うサロンとして財を惜しまず造られたとか。

冠木門は大徳寺拝領の瓦を模したものとのことで重厚な雰囲気。
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お寺のような渋い障子を開けると書院。
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襖も水墨画。
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ん~~ちょっと堅苦しいというか渋過ぎ感を覚えていると庭の先に見えた好物感。
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わーい、やっぱり好物♪
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数寄屋の見本集大成のような造作。
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盛り盛りの内部に負けず劣らず外観も清水寺のような舞台造り。
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座敷以外にも茶室や四阿が点在し、装飾的ではあるものの超豪商による豪壮な建築&庭園といった印象。
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とっても穴場♪

因みに地下鉄北加賀屋駅で馴染み深い住之江区加賀屋の地名はこの加賀屋に由来してのことだとか。





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クロボカンを出発 [バリ島2023]



フォーシーズンズでお腹いっぱいのアフタヌーンティーの後は
ヴィラ・アイル・バリの自室のオープンエアのプールサイドダイニングで…
持参のカップ麺の夕食ww
ビンゴな選択でした。


名残惜しいけどこちらのホテルは2泊で移動。
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朝ご飯はホテルのダイニングで。
フローティングブレックファストでなくても部屋で食べる人が多いのかほぼ貸切状態で、
緑あふれる庭の目線の先には池や花々が。
一人だけ和食にしてみましたけど、日本にで食べるのと何ら遜色なく
万人好みのような仕上がりでしたがとても美味しかったです。317_1012変身11.jpg

部屋のおやつも美味~。
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伝統的なバリの雰囲気を求めるのではなければとてもオススメのホテルでした。
スパはじめどの部署でもスタッフの方々がみな笑顔で確実に応対してくれとても好印象。
いままで日本人の方がスタッフにいるからといって特にお世話になることもなかったのだけど、
アフタヌーンティーの件では終始頼ることになってしまい
存在をこれほど有難いと思ったのは初めてのことでした。






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黄昏のフォーシーズンズ [バリ島2023]




アフタヌーンティーにこだわったのは楽しい演出を知ってたからではなく
黄昏時に居たかったからだったのでした。

ランチやディナーという選択肢もあったものの(ただお高いけど)、
食後や食前に宿泊者でもないのに長時間敷地をうろうろするのは憚られたからなのですが、
いざ行ってみると巨大化、開放的な雰囲気になっていて自由に敷地内を回遊でき
遠慮の必要はなかったのねと思えるくらい気ままに散策していると
タイミングも絶好の時間帯となりました。

庭園でメイン部分は30年前の面影そのまま~(懐かしい…涙)
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特に人生初めてのインフィニティプール周辺も変わりなく残されていて感動~~[ぴかぴか(新しい)]
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少し違っていたのは庭の2,3か所でバリ舞踊が演じられていたこと。
待機中の演者さんも庭の片隅にちらほらと。
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刻々とサンセットタイムを迎えわたしの念願だったことーそれは…
30年前と同じ場所で写真を撮ること。

しかもそのため同じ服を着てきたわ!ww
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思えば日本がバブルに沸いた後の頃でした。
ボロいけど都内中心部の社宅に移り、わたくしたちもこれからバブルに踊れる??と
夢を抱き始めた時代でその後失われた30年が続くことになろうとはw
ま、そんなことはどうでもよくて。
出発前服も自分で作ったりして気合一杯、お洒落エイジの訪バリだったのですが、
フィルムカメラで二重写しをしてしまうという大ポカをやらかしてしまい、
旅行をしめくくる黄昏のロビーでの写真もほぼ全滅。
従妹にそれはバリの神様がもう一度いらっしゃいって言ってるのよと慰められたのでした。

同じ服を着てもう一度というほどのこだわりがあった訳ではなく
折角作ったものの他に着る機会もあまりなかったし、
新しく服を買うのも面倒だったというだけの理由だけれど、
少々容姿も黄昏ているもののこれが30年前だったら…くう~~っというほどの落差もなく
そこそこそれなり程度のものが撮れました。
フィルム時代と違って一杯シャッター切れたし。
ロビーの配置は若干違っていたけど満足感一杯の訪問でした。




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アフタヌーンティー [バリ島2023]



思い出は…思い出のまましまっておいた方がいい?
様変わりにがっくりさせらることもあれば、
ああこんなだったと記憶の糸がたぐり寄せられることも。

30年ぶりに訪れた、人生初めてのプール付きヴィラ滞在を経験した思い出のフォーシーズンズは…
グレードを維持したまま拡大化しておりましたww

1993年夏、開業ほんの二月ほどで訪問した際は
石垣の白石は目に眩しく、ジンバラン自体何もない場所で
ホテルにもビーチにも人影はまばらな
湾の向かいの空港の離発着を眺めるまことにのんびりした未開発地だったのですが。
今回は人で賑わう様相に時代の変化を感じることに。
昔は囲われた足を踏み入れにくい場所だったのだけど…いや、今でも道路側からはセキュリティーが厳しく入りづらい雰囲気ではあるのだけど、海側からはオープンなイメージ。
隣接地を併合して富裕層向け一大リゾートに成長してたような印象でした。

アフタヌーンティーもアトラクション的に派手な演出!
スタッフからスマホを構えることを促されカウントダウンとともに…DSC_0235-001.jpg
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完食はムリで焼き菓子は持ち帰り。
ゆったりとしたソファーのローテーブルでカップル写真を撮っていただいたりして楽しめました。
お客もまばらでのんびり滞在。

ヴィスコンティの「ベニスに死す」の舞台「デ・バン」を思わせる白いテントが並ぶ浜辺には馬も。
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昔はなかった浜沿いのレストラン棟。
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一夜明けて [バリ島2023]



今回は山間部のウブド中心の滞在だったものの、少しは繁華街での買い物の必要を感じて
海辺のリゾートにも2泊ばかりすることにしたのですが、
落ち着いた雰囲気があるという言われてるスミニャックと隣接して繋がっているクロボカンの中でも
こちらのホテルを選んだのは、
ツアー会社がかなり推していたのと口コミがよかったのもあったのだけど
バリで流行りらしいフローティングブレックファストを体験できると知ったからでした。

周辺には観光客向けのショップなどはなく普通の町中にホテルの入口があるものの、
一歩入れば塀に囲まれた別天地。

朝一番のお散歩。
ホテル名の「アイル」とは水という意味なのだとか。
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そしてこれがフローティングブレックファスト。
水着に着替えてヴィラに運ばれるのを待機ww
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ホントはプールサイドに座って籠を寄せて食べるのでもよかったのだろうけど
深いプールに入って頑張ったわww
楽しかったです。

予約済のアフタヌーンティーに出かけることになっていたので
お昼はホテルで付帯のアフタヌーンティーと追加でランチの一皿。
こちらでのアフタヌーンティーは昨日ほぼ同じだったけどギリシャ風のサラダがオシャレ。
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門の外は普通の道路。
走り抜けるバイクにローカル感があってほっこり。
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電車・バスといった交通機関がほぼ無いに等しいのがちょっと不便なバリ島、
タクシーでジンバランに出発~。



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初日の午後 [バリ島2023]



客室に入って漸く落ち着き、何度かの試行錯誤を経てwi-fiを繋ぐのに成功すると…
機内モードにしている間に翌日行く予定にしてたアフタヌーンティーの
先方都合による予約キャンセルメールが入っているのを発見!

その時は何が起きたのかわからずひゃあーっと気が動転してしまったのだけど、
その後その数時間前にも予約確認のメールが入っていて、
返事をしていないためキャンセル手続きがとられてしまっていたことが判明!

冷静に考えたら改めてメールにあったランチの再予約すればよかっただけなのだけれど、
気合の入った思い入れのある予約だったため焦ってしまったのと、
直前の予約だったゆえかアフタヌーンティーの開催がなくなったためかネット予約ができず
結果的にはハッピーエンドで終わったものの長期間にわたる苦労の幕開けとなってしまったのでした[あせあせ(飛び散る汗)]
(ホテルを通じて電話での再予約の際ネットでの、事前アドレスを送られるもエラーの連続となり、
 色んな経緯を経て支払い完了。
 ところが後の明細で二重決済らしき状況が判明し、先方に確認を求めるも進捗せず
 実はこちらでは知らせてもらわないことには確認しようのないない先への返金処理がなされてたという…
 間に人が入ってたり英文で交渉したりでた~いへんどしたわ~)

この先に更にそんな苦労が待っていようとは想像だにせず
とりあえずスミニャックの町まで両替と買い物に。
ビンタン・スーパーの南を海側に折れたアルジュナ通りでバティックを買えたのが一番の成果!
バティック通りの中でも長老のおばあちゃんが仕切る老舗のような感じで
レーヨンが多かったけどコットンもあり思っていたようなのを見つけることができました。
スーパーでTシャツや食料品やら他のお土産もまずまずの揃えることができとりあえず一安心。

往路はホテルからの無料送迎があったのだけど、復路は自分でタクシー調達の必要が。
ぼったくりタクシーに遭遇しないかと気が気ではなかったけど、
ちゃんとメーター制の誠実なおにいさんのタクシーを拾うことができました。

ホテルに着いたらドア・ボーイと運転手さんが友人同士で、
「おまえどうしてんだよー!」的な偶然の出会いが楽しそうだったわ。


夕方は宿泊特典のスパ・アイルでのバリニーズ・マッサージへ。
とてもいい香りのする棟でまずは飲み物をいただき
ばらの花びらが浮かぶ桶での足のマッサージから。
至福のパラダイス・タイム。
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だんだん日が暮れてくるなかオープンエアのレストランへ。
こちらもツアー付帯の連泊特典のコース・ディナー。
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宿泊施設に相応しいモダンな感じのお料理色々。
とても美味しかったけど、
翌日のアフタヌーンティーの交渉をしながらの食事に。
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アフタヌーンティーの予約騒ぎでやれやれなバリでの一日目が終了~。








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到着→ホテルへ [バリ島2023]



バリ島2023の初回記事からすっかり間が空いてしまいましたが、
昨年分の国内分の写真整理が一段落したので続きをば。

最初のバリ到着は夜でした。飛行機のタラップを降りたら徒歩でターミナルへ。
不愛想なイミグレの係官、スーツケースに群がるチップ目当てのポーター、うす暗い施設。
数年後は徒歩での移動は変わらなかったもののターミナルは明るいイメージで
空港前のロータリーには壮大な彫刻があったりして。
今回はどんな風に変貌しているのかと思っていたら…
到着は午前中でとても明るく、建物は大きなビルに様変わりし、
出口を出るといくつもの銀行の両替カウンターが並び
出た先の柵の向こうに出迎えの旅行会社の係員が札を持ってずらりと並ぶという様相。
そりゃ30年も経ったら変わるわなと、考えたら浦島太郎にも近い状況でした。

道路もバリ感が乏しく他のアジアとあまり変わらない雰囲気で
まずは最初のホテル、ヴィラ・アイル・バリへ。
周辺には観光客向けの商店も見当たらない普通の町中にゲートが。
一方にしか壁面のないオープンエアのフロントでチェックイン手続き。

チェックインは午後3時からだったため並びのレストラン棟に移動して
ウェルカムドリンクとおしぼりのサービスを受けました。
いい匂いでとてもスッキリ。長旅の後はホッとさせられます。
お昼頃になってたのでそのまま付属しているアフタヌーンティーをいただきつつ待機しているうち、
早めに部屋に通してもらえることに。
カートでの移動だったけど歩いても部屋数は20にも満たず歩いてもすぐの場所にヴィラが並んでいました。
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ヴィラの扉はお馴染みのバリ風の両開き。おぉ~!
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旅行サイト等でみる写真は壁に囲まれ昨今のアジアの流行といったイメージのシンプル・モダンで
それほどわたくしの好みというわけではなかったけど、
実物は広い!
こんなに広くてどうするの?!というくらい広々としていて移動がめんどうなくらいw
写真で損してる感が。



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